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病状の進行加減と、年齢という自然時間の盛況争”がはじまったのである。
なんとか時間は間に合ってくれた。
Lの誕生日は十一月。
二十歳になって、今度は一人でK大を訪れた。
Tから、さらにその後、倫理委員会に属する内科医からも「いつ撤回してもいいんですよ」といわれたが、気持は変わらないと答えた。
もちろん自身の肝臓にメスを入れられることは怖かったが、このままなにもしなければ母は死んでしまう。
母を失ったあとの後悔を思えば、それ以外の選択は考えられなかった。
母は娘の決断をありかたいとは思ったが、それまで提供してほしいと頼んだことはないし、この問題を二人で話し合ったこともない。
親子とはいえ、それは自身の口からはいえぬことである。
結果、ノウでもいいと思っていた。
いずれにせよ、それは娘が決めてくれたらいい、と。
移植手術が決まってからも、ふと思ったものだ。
もし夫が生きていたらこの治療は成立しなかっだろう、と。
二人の娘を溺愛していた夫にとって、娘の体を傷つける治療法などけっして許さなかったであろうと思われたからである。
移植手術が行なわれたのは、一九九八年二月。
手術はドナー、レシピエントともまずは順調であった。
母のKがICUに入っていたのは一週間である。
意識が戻り、容態が落ち着くと、看護婦がテレビをつけてくれた。
長野での冬季オリンピックの模様が映し出されていたが、目の焦点が合わずぼんやりとしか見えない。
一般病棟に戻って周りがくっきり見えはじめた。
窓から外を見やると、空からボタン雪が落ちている。
身に染み入るような光景であった。
なんとか生還できたのだ……。
Kへの移植は、成人への移植としては過度期の手法、「自己肝温存同所性肝移植」が採用されている。
手術手技としても非常に複雑でむずかしい方法である。
この当時まで、成人への生体肝移植の成績は、生存率でいえば六〇パーセント台である。
小児に比べると二〇パーセントは落ちる。
要因はいろいろと考えられたが、ドナーの左葉が、小児では十分であっても成人の生存を支えるに十分でないと推察できた。
Lの場合、事前の検査で左葉のサイズは大きくないことが判明していた。
そこで、レシピエント側萌子)の病的肝臓の中で容量の大きい右葉を残したまま、その横にドナー肝の左葉を埋め込むのである。
病的とはいえ肝機能は一部残っており、その働きに期待しようとするものである。
もちろん病的肝がウイルス性疾患や癌に冒されている場合、この方法は採用されない。
埋め込んだ左葉はやがてボリュームを増すが、それとともに病的肝は縮小し、やがて消えていくという。
生体とは実に玄妙極まりなくできているものである。
Kの回復が順調であったのは、この自己肝温存の効果もあったと思われる。
成人への肝移植の原疾患は、胆道閉鎖など胆汁諺滞性疾患、肝硬変、劇性肝不全、代謝性疾患、原発性胆汁性肝硬変、原発性硬化性胆管炎などにまたがっているが、ウイルス性肝炎からの肝硬変、あるいは肝臓癌への移植も含まれている。
成人のなかでもっとも潜在的需要の多いのはウイルス性肝炎からの肝硬変と肝癌である。
ただ、疾患としてむずかしい問題を含んでいる。
ウイルス性については、移植手術と術後がうまくいったと仮定しても、その後の再発を覚悟せねばならない。
B型の一部については抗ウイルス剤を投与して陰性にしてしまう手段があるがI〇〇パーセントではない。
C型の場合、再感染はほとんど必至である。
ただし、その上でまた悩ましい選択が発生する。
ウイルス感染(いわゆるキャリア)イコール発病ではない。
移植後すぐに発病するときもあれば、ゆっくりとしたペースでくすぶり続ける場合もあれば、まったく静まり続けてくれるケースもある。
術後の完治を期待しない、限界ある治癒、場合によっては。
短期生存”という選択もありえるからだ。
肝癌については、倫理委員会の規定で、癌の肝臓外への転移、脈管への浸潤が認められるものについてはこれを対象としないと定めている。
これまで行なわれた肝癌への移植はいずれも家族の強い希望があってのことであったが、他の疾患に比べると成績は落ちる。
小児では術後、皮膚および肺への転移によって亡くなっているケースもある。
一方、術後良好で社会復帰している成人もある。
いまだ確定的な方針を立てるには経過観察期間、症例数とも不足しており、今後の症例を見ながら適応条件を探っていきたいIというのが、現時点でのTの説明である。
徳山で私か母と娘に会ったとき,移植手術からほぼ三年がたっていた。
術後、母はおよそ三か月、K大および京都市内の関連病院で入院したのち、徳山に帰ることができた。
一度、胆汁の流れをよくするために開腹しているが、それ以降、入院生活はない。
いま移植をしのばせるものは、朝夕に飲む免疫抑制剤、FK506とプレドニンだけである。
プレドニンはFK506とは異なる作用機序をもつ薬で、併用される薬として一般的なものである。
月一回、徳山の病院に検査に行く以外、病院に出向くこともない。
スイミングにも通い、仕事もしている。
かつて夫がかかわっていた会社の役員となり、徳山から山口まで車で通勤する日である。
体調という点では、Lのほうも特記すべきことはなにもない。
腹部の傷は、当初腫れになっていたが、いまではうっすら赤みを帯びている程度である。
型にしようかなって思うことぐらいでしょうか。
「いま気になっているのは、実は手術の傷跡じゃなくて体重なんですけど」そういって、金谷Lはおかしそうに笑った。
一九九九年夏、Gは金谷親子から相談を受けた。
親子三人でドイツへの観光旅行を計画しているけれども大丈夫であろうかというものだった。
なにも問題はありませんよと答えつつ、万が一、ドイツ国内で病院に行く必要ができた場合を思い、GはKの病歴と飲んでいる薬の種類をしたためた所見を書き、預けた。
文字通り、死の縁にあった患者がヨーロッパに旅しようとしている……。
ペンを走らせながら感慨がよぎった。
金谷さん親子の症例はもとよりひとつの事例である。
レシピエントとドナーの間の関係性としても、移植手術と術後としても、とても良好であったケースである。
成人間の移植の多くは、まずはレシピエントとドナーの間の関係性において、切なく悩ましい問題を含んでいる。
それは、担当医たちが一様に体験してきたことである。
成人間の臨床をはじめてまもない頃、兄弟間の臨床があった。
提供したいというドナーの意思は明快で、手術・術後とも順調であった。
術後、ドナーとなった男性がひどく落ち込んでいる。
院内でも黒のサングラスを外さない。
Tが訊き出してみると、手術前までは家族や親族は自分を大事にもてはやしてくれたが、終わってみればレシピエントの方ばかりに目が向いて、自分のところにはさっぱりやってこないというのである。
術後のケアにしても、医者も看護婦もレシピエントの方が手厚い。
自分はたんに”提供道具”であったのかと。
術後のケアについては必要性からしてどうしてもそうなってしまう。
いわば被害者意識のなせることで、その点の誤解は解いてもらうことができたが、以降、ドナーの気持を汲んだケアということを心がけるきっかけになった。
もうひとつの、いわば一時の高揚期が過ぎたのちの家族関係にかかわる点については他者はタッチしようのないことである。
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